中茶安別地区の入植は、大正5年の平野九一さんが始まりである。
中茶安別地区には7つの地域があり、
大 正 期(5〜6年) 中茶安別
昭和初期(3〜5年)中茶安別・下茶安別
昭和中期(9〜10年)共和・東・報徳
終戦後(23〜24年) 新拓
戦 後(29〜30年代)雷別
と入植は進んでいった。
島田鍬とさってだけの手おこしだったが、昭和10年以降になると馬の導入によって馬耕となった。
昭和25年ころは、自家用木炭の製造、農閑期の出稼ぎなどが主であったが、酪農の将来性、
あるいは、気候、土地、その他の諸条件を考慮して乳牛の飼育が始まり、馬産とともに、総合畜舎
という考え方で進んでいった。
その後、昭和32年には、100石以上搾る農家が2戸になり、昭和37年には15戸となり、
酪農色が強まって草刈り酪農に徹し、茶安別の本格的酪農が始まった
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